
2020年3月6日
留学生教育学会
会長 近藤 佐知彦
(大阪大学教授)
現在、未知のウィルスへの恐怖によって私たちは不安をかき立てられています。3月1日付で米国CDC(疾病対策センター)は高等教育機関が「学生交流の延期もしくは中止を検討しなければならない」との勧告を出しました。私たち留学生教育学会では、これまで学会メンバーが関わってきた留学生交流にも悪影響が出るのは避けられないと覚悟をしています。
目を日本社会に転じると、小中学校などの休校閉鎖が要請されました。児童生徒の「まなび」や「居場所」の確保が問題となり、またマスク不足や、一部生活物資の買い占め騒動など、人々の生活に大きな影響が出ています。事態終熄のために強力な施策が打たれている状況は理解しつつも、株価低迷に表れているように、ウィルスの見えない脅威によって市中の経済活動は大幅に減速し、非正規労働者など弱い立場の方々の生活が脅かされる懸念も出てきました。
そして我々が忘れてならないのは、本邦には約283万人もの外国人住民が生活している事実です。なかには特別永住者や家族滞在など、家族や親族と支え合いながら日本で生活している外国人もいるでしょう。しかし、36.8万人の技能実習生や33.7万人の留学生の大部分が単身者であり日本社会での生活基盤が脆弱なニューカマーです(令和元年6月末現在における在留外国人数について;出入国在留管理庁調べ)。
非正規労働者については、労働組合などいくつかの組織がサポートに立ち上がりました。政府も休業補償などの対策に迅速に取り組もうとしています。それに加え、私たち留学生教育学会は外国人住民にも目を配るべきであると訴えます。これらの人々は生活基盤だけでなく言語などの文化基盤も十分とは言えない社会的弱者であることが多いからです。コミュニケーションギャップから正確な情報が与えられず、危機的な状況で社会からますます孤立していきかねない方々のことを私たちは忘れてはいけません。
仮に入学した学校が、適切な処置がないままに長期の休校や閉校となるような「留学生」が出た場合、彼らは制度的に留学生と見做されることなく、日本社会に居場所も与えられずに国外への退去を求められる立場に陥ってしまいます。技能実習生の実習先の経営もどのように変化するか楽観出来ません。若者達はそれぞれに努力をし、また少なからぬ自己投資をして来日しています。それぞれの夢を実現させるために日本に選んでいます。私たちが無策なままでは、彼らの責に帰さない理由で、明るい夢を悪夢に変えてしまいかねません。
例えば外国人留学生などニューカマーの多くが自分だけでは日本メディアからの情報を十分に消化できていません。「学校」のような社会との接点がなくなると、彼らにとっては学習機会が奪われるだけでなく、情報ソースとなる友人や信頼できる先生と顔を合わせる場も失われます。情報源が自国メディア(SNSなど)や母語情報に限られてしまうと、自然と情報が偏り、周囲の日本人社会に溶け込めなくなる可能性もあります。ただでさえ不安な状況です。自分たちの周辺で何が起こっているのか、生活者として日本に暮らす人々一般に何が期待されているのかが、迅速に的確にそして友好的な方法で伝えられる必要があります。
日本で自己実現を目指してチャレンジしてきた若者達の夢をできる限りサポートしていくために、またホストコミュニティである私たちの社会が、他者に寛容で柔軟性を備えた真の共生社会へと脱皮するためにも、以下の提案をいたします。
① 外国人住民を弱者にしないため、疾病・医療情報などを含めた外国人向けの適切な情報発信を工夫しませんか。学校、行政、ボランティアそして専門家など様々な関係者の力を集めたプラットフォフォームが必要です。
② 社会との適切な接点を保持するため、日本語学校やボランティアによる教室などの維持も考慮して下さい。居場所がなくなった「外国人留学生」「外国人単身者」「外国人所帯」は社会から孤立してしまいます。
③ 在留資格を含めた国の制度の柔軟な運用を考えて下さい。緊急事態だから異分子を追い出す、と言う方向では未来志向の多文化共生社会は築けません。緊急事態であればこそ、他者が直面するニーズに配慮しつつ、例えば「通うべき学校を奪われた留学生」「職場が危ない実習生」等を救済する方向性を考えましょう。いま我々の寛容性が試されています。
④ 様々な予算の再配分を含めた資源の最適化を考えませんか。冒頭で掲げたCDC勧告から類推できるように、来年度の留学交流などは「奨学金を投じれば活発になる」ものではありません。ここ数ヶ月から今年いっぱいの留学交流は規模縮小の方向にむかわざるを得ません。例えば既に配分された予算の一部を使って「現在日本に在留している外国人の若者達」に対し、上記①②③のような施策を実現できないでしょうか。
留学生教育学会ではみなさんが「自分たちのことで精一杯」であることは承知しつつも、いまこそがマイノリティの痛みも分かち合うことが出来る共生社会に脱皮するための正念場であるとも信じつつ、上記の様な提案をいたします。
以上